utsurobune’s diary

短歌を発表してます。

一人百首:36

ピー。

放送禁止用語。というものがある。アメリカほど人種問題に日常で慣れていない日本ではどちらかといえばこのほうがなじみやすいだろう。

僕みたいな豆腐メンタルな人間は規制の問題では悩ましいところがある。なぜなら僕の育った場所では制限するものなどなかったからだ。ネットでも日常会話でも、言葉の雑草は荒れ放題に伸びていた。より過激なことを言えばかっこいいと思っている田舎の子供たちにとって言葉はクレヨン画のように純真だった。

過激な単語をいえば優れている。テレビでできない。という発想を持つ人はたくさんいる。でも、言葉を言うのは誰だってできる。本当に優れた作品はLINEでスタンプを押すように単調なことはしない。自らの表現力を持ってして規制がかかってできないことを表現するのだ。テレビでできないのは(その言葉を言うことが)素人並みの表現だからである。摘芯というものがある。植物の茎の先端についている芽を取り除くことで、植物の成長が縦にただ伸びるのではなく、横に成長することでより多くの花がつく、というものだ。言の葉は一方的に投げつけるドッヂボールでは磨かれない。キャッチする相手がいるからこそ成長する。

言葉狩り、でむしろ思い出すのが流行語だ。どういうことかというと、真剣な会議。だんだん話しに熱が入ってくる。案を出す。それに対して反論を出す。感情的になる相手。そしてうっかり出た言葉が「でも、そんなの関係ない!!」。一瞬静かになり、会話が再び始まる。軽く笑いをこらえる相手。はっと気づき、そんなつもりで言ったんじゃないのに・・と思っているものの、全員の脳裏には一瞬海パン姿がよぎり、去っていったのだ。

日常会話でよく使う言葉だからこそはやり、流行語になるのだろうが、この現象は結構ある。「チョー気持ちいい」とか。「チックショー」とか。「間違いない」とか。「残念!」とか。

それとも関係なく、ネガティブな意味でもないのに現在の会話からほぼ淘汰されていった言葉がある。

「がんばれ」である。

とあるアイドルが励ましの言葉を言うために「無理しないでがんばって~!でもがんばりすぎないでね~」というサインを書いていた。おそらく本人が受けるプレッシャーを人に与えたくないからだろう。

でも、ここまでこのことが浸透する前はそこまで脅迫のように思うことはなかったはずだ。見ず知らずの知らないおっちゃんに「おう、がんばれよー」って言われていやになる人はそこまでいないだろう。

本来は純粋な励ましの言葉だったもの(それこそラッキーとかハッピーとかただ明るい言葉)が、うつ病の人に言ってはいけない言葉としてタグ付けされ、日常では淘汰されるようになった。

つぶやき過ぎて短い言葉の行間が読みにくく、感情は伝わりにくくなってるんじゃなかろうか。テレパシーが使える人がうらやましい。

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思うこと 次から次へと 形にして ぬけがらとなるを あこがれ眠る