utsurobune’s diary

短歌を発表してます。

一人百首:48

紙の中の人について話す。

子どものころの砂場でどうやって遊んだかでその人が分かる、というものがある。僕はそもそも近所に砂場がなかった。だから成り立たない。でも子どものころあんまりスポーツは好きじゃなかったと思う。小5・6くらいになってドッジボールをやるより以前はインドアな性格だったはずだ。

女兄弟がいたこともあるだろう、部屋の中にはやたらぬいぐるみがあった。そのぬいぐるみを使ったお話を作るのが好きだったかもしれない。男子だったら仮面ライダーとかウルトラマンを対決させるみたいなのがあったろうが、それだけだと自分の持っているおもちゃだと足りないという理由もあったのだろう、ダニの温床となるぬいぐるみたちで遊ぶことが多かったと思う。

その派生系の話は兄弟だけじゃなく、友人たちにも進出していった。一番よく遊ぶ友達とはレゴを使って遊んだ。組み立てるとか建築面の楽しみもブロックにはあったのだろうが、僕は全然だめだったから人形を使った遊びが中心となった。子どもによっていろんな遊び方がすることができるという意味で優れている。愛知にテーマパークができたからいつか行きたい。

学校の友達にもその遊びは広がっていく。下校の帰り道、話す内容よりも僕たちはそっちの方が好きだったのだろう。つまり子どもの想像力を使った遊びだ。アクションがないアドリブのごっこ遊び、というものだったんだろう。この遊びは親友だけにしかやらなず、同じ中学に行く機会がなかった僕はその遊びを中学でやることはなかった。

ただ、一人でもこの遊びは続くことになった。ぼーっとしているときには自分は空想の中で遊ぶようになっていった。家にかえると登場人物の設定を書き、学校に行くと脳内で物語は進んでいった。ジャンルは基本的にはSFだ。ただ文章力がなかったために言語化はなかった。インディアンの口伝えの話みたいなものである。

中学に行くにつれ、この遊びをやめたくなっていった。この遊びを共有する友達はいないし、この遊びがないためにコミュニケーションは取れなくなっていくのだ。しかしセカイ系ともいうべき自分が絶対でいることのできるこの遊びの魔力は恐ろしいものがあった。

その当時はこんな遊びをしているのは自分だけだろうと思っていたが、後にこの空想遊びをしている人が大勢いることがわかってきた。人によってその形態は異なってくるが、有名どころでいうと麻雀小説でブレイクした色川武大は自分の経験をベースに書いた「狂人日記」で相撲の力士をカードに書き、さいころを振って勝敗を決め、彼らの人生をノートに書くようになったという自分の幼少期を描いている。主人公は幻覚に悩まされている精神病患者。小説のラスト、主人公がヒロインに逃げられると彼は迫り来る死の中で、再びこのカードを書き始めるのだ。この小説のほかに野球で同じように空想の中で遊んだという小説がどこかにあったが忘れてしまった。

僕の聞いているラジオDJも不登校のころにパワフルプロ野球で作ったキャラクターの背景を考える、というものがあった。ノート1冊分びっちり書き込んだものの、家を出るタイミングで捨てたという。また女優の吉田羊さんも中1までままごと好きだったとか。

伝説の域になってくると、ヘンリー・ダーガーが挙げられる。彼は19歳から81歳で死ぬ半年前まで挿絵が含まれた絵本を書き続けた。その名も「非現実の王国で」。子供奴隷制を持つグランデリニア国とアビエニア国との争いの物語だという。しかし女性の体を見たことがなかった彼は女性の裸に男性器が描かれていたという。

この体験が今になって生かされているかといえば微妙だ。文章を構成する力、という点ではブログや怪談、ラジオの長文ネタを書くときぐらいだろうか。TRPGというまさにごっこ遊びの延長線のものがあるものの、機会がないのでやっていない。才能がある人にとっては仕事にできるぐらいのものだがない人にとっては最大の黒歴史である。

ちなみに僕の場合は高校生ぐらいまで続いた。それから人と話すようになってあるときにやってみたら、全然面白くなくなっていたのだ。想像力と引き換えに社会の中に入り込む免許をもらったのだろう。それでいいと思っている。

今朝未明 ライナスの毛布が 燃えました くるんで捨てた 銀紙で巻いて