utsurobune’s diary

短歌を発表してます。

一人百首:19

町は開かれた書物である。書くべき余白が無数にある。

町に書かれた落書きが好きだ。見つけると写真でとって保存しておく。先に言っておくと、僕は犯罪を推奨するつもりはない。建造物損壊、器物損壊、書かれた内容においては侮辱罪も成立するので、僕自身は書かないし書きたいとも思わないし書いた人は5年以下の懲役が与えられるべきだし書かれた人はとんだことでしたねと心からねぎらいの言葉を申し上げるし書こうとしているやつがいたら激おこである。

でもそれはそれ、これはこれだ。正義と法律はあくまでニアイコールである。また、道徳と美がイコールであることはそのほうがむしろ少ない。

「やりたいことが 見つからないことが こわかったんだ だからぼくは」(壁に白字で大きく)

「底なしの沼」(電柱にて)

「ゆうきすきです うわき男しね。 べんきょーやだ! じゃ働け 働いたらまけかなと思ってる 無限大な夢のあとの 共働き 受かる!←がんばれ!←おまえいいヤツだな←おまえもな」(大学の机にて)

ブログもtwitterもなかった頃の感情が残っているのだろう。そしてそんなものがないからこそ自分のいいたいことしか書いてないといえる。

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後楽園のプロレス者の落書きは有名。

 

某番組で公園の落書きを消すという企画がやっていた。カメラには大勢の子供たちがカメラに興味津々で、タレントがこの落書きいや?というと「いやー!」と言っていた。子供が遊び、清きも濁りも経験するべき公園で、潔癖な色調のみを求める子供も子供だ。そしてそんな彼らが学校の授業や親の行かせるダンススクールでブレイクダンスを学ぶのだろう。そしてバンクシーをアートとして擁護するのだろう。

企画のプロデューサーはその落書きを単なる落書きとしかみていなかったんだろうか。何を書きたかったんだろうとは思わなかっだろうか。格差の中で貧困層に位置し、社会からも見放された存在が見出すことのできたアイデンティティであり、表現方法だったなどということは万に一つも考えなかっただろうか。

放送が終わると司会の人物が「この番組をやっているといいことしてるなって思えるんですよ」と言っていた。24時間テレビを偽善と言う視聴者は当事者の立場にならないと何も感じないのかもしれない。犯罪は犯罪だ。でもそれならしっかり法に沿った形で償うべきだ。視聴率のために私刑をしているのと変わらない。

とりあえずテレ東の社員さんはスタイルウォーズのDVDを一度見ていただきたい。大量の外来種の魚の死骸が山のように積まれたケージを見てそう思った。(ものすごい怒ってるなこいつ・・・)

アイドルの イメージビデオの 裏で鳴る 素材フリーの テクノポップ