utsurobune’s diary

短歌を発表してます。

一人百首:26

昨日のコーヒーブレイクのコーナーにコーヒーの写真を入れるのを忘れていた。不覚。まぁもともと何のコーナーなのかもわからないものではあるが。ついでだから見返してみた。壁の落書きについて。スキットについて。引越しについて。本棚について。なんかよくわからないネタ。笑顔について。なんだかよくわからない文章。

おいおい。

なんだこのジャンルがいろいろな内容は。あくまで短歌をあげるのであって文章は添え物やろがい!

てなことで今回は短歌について書こうかなと。

枡野浩一さんという現代歌人の方が言った「短歌と俳句と川柳の違いが分かるやつはモテない」という文章をどこかで見たきがする。

まぁ、なんとなく僕は分かる。5・7・5だけと5・7・5・7・7と同じ5・7・5・7・7でも面白いやつっていう感じなんだろう。

一応手持ちの明鏡国語辞典で調べてみると、

短歌:和歌の一体。5・7・5・7・7の5句31音を基本とする。

俳句:5・7・5の3句17音を定型とし、季語を含むことを原則とする短詩。

川柳:前句付けの対句が独立した17字の短詩。季語・切れ字などの制約のない口語詩。人情・世相・風俗などを風刺し、軽味を持ってこっけいに描く。

とあった。

むむむ。

俳句と川柳が短詩ということはどちらかといえば似ているのか・・?詩と歌というのはまた難しい問題で、以前に言った現代詩の先生の授業の中でも取り上げていた。

まぁそれはおいといて。一応辞書ではこのように分かれているけど、僕の作品はどうだろう。見る人が見れば川柳のように思う人もいるかもしれない(もし俺が~、Lチキと~、中華屋の~、道ばたで~)。

本当は短歌と川柳も読まれるニュアンスのような気も、する。例えばサラリーマン川柳で労働の過酷さについて必死に訴えたものは「重っ!」ってなるし、歌集の中に出てくるほとんどが下ネタの川柳だったら図書館の配置場所を移されるだろう。

でも、そんなものもあっていいんじゃないだろうか。軽さやユーモアがある短歌もあっていい気がする。オフビートな笑いの川柳が缶コーヒーの側面に書いてあっても面白い気がする。

もともと「感じたもの」は喜怒哀楽4つだけじゃなくてもっといろんな色をしていて、それをアウトプットするときモノクロな言葉に変換する。だから言葉というのは時々誤読をしたりする。だから人はジャンルとか種類とかで品物をわけたりする。でも分類は意味がない。イチゴやメロンは野菜だし、トマトを果物とする向きもある。

思ったことをそのまま表せばいい。それが何であるかは批評家が後づけでやることなのだ。

ここじゃない どこかがのって あるるるぶ 生きてる牛の 部位を教えて