utsurobune’s diary

短歌を発表してます。

一人百首:46

ずっととあるSNSで怪談の生放送をしている。前にも書いたかな。常連の人が一人いて、黙って話を聞いてくれている。子どものころから怖い話が好きだった。今でも変わっていない。いまだに子守唄の変わりに稲川順二を聞いている。恋の話より経済の話よりスポーツの話よりおいしいものの話より怖い話好きである。三度のめしより怖い話好きである。「三度の飯」っていう怖い話があったら聞きたいけども。

誰でも一つや二つはストックがあるものだし、昔なら学校の怪談、今なら意味が分かると怖い話というように時代に合わせて形態を変化させて生き残っている。ここまでジャンルとして定着しているのもめずらしい。日本人らしい協調性と落語からくるしゃべりの文脈の流れがあるのだろう。怪談のほかで話す内容には物語性がない。そして目的が共通していて、その範囲内で怖がらせ方の技術が存在する。他の話と違ってある意味の芸能なのだろう。

最近ずっと伊藤潤二コレクションというアニメを見ている。これが抜群に面白い。恐怖の内容がリアルじゃなく、幽霊というより妖怪のようなシュールな存在なのだ。そしてそのシュールななかにも物語性があり、内容が濃いものになってくる。ただ、アニメを見ていると怖さの中にもツッコミどころがありまくるのだ。ばったばた人が事故死するサーカス、隣から独特のセリフ回しで呼びかけるおばちゃん、周りが全員仮面をつけているなか一人全裸のおばさん、などなど。でてくるシチュエーションが(演出が)違っていたら完全にコントであるが、物語の中では不気味な存在となっている。笑いと恐怖は紙一重なのである。

怪談は非日常の存在だ。日常であるとしたらそれは特別なものではもはやない。非現実のものを扱う一方で、リアリティは保たなくてはいけない。完全に嘘の話だと分かったら単純なお話になるからだ。また、登場人物にとっぴなキャラクターは必要ない。人間性はノイズとなって恐怖感が薄れるし、できるだけどこにでもいるAさんBさんにしたほうが、聞く側が感情移入しやすくなる。けっこうめんどくさいものだ。

意味がわかると怖い話、というものが多い。これはいわゆるパズル性のあるものだ。(暗号など)有名どころだと「スクエア」というものがある。山荘で順番にぐるぐる回って・・というものだ。この話の仕掛けは問題の謎が分かったときのぞわっとするひらめきを恐怖と錯覚したことによって起きるものだ。

スティーブンキングはホラーの帝王であるが、アメリカの文学界では重鎮となっている。キングの物語のキーワードは「絶望」だという。ITでは子どもに対する現実の殺人犯が、キャリーではいじめによる孤独が、ペット・セマタリーでは愛する家族を失うことが、人間の持つドラマ性を引き出しそのドラマから成る恐怖感を倍増させる。

ゾンビ映画の原点、ナイト・オブ・ザ・リビングデッドでは人種差別問題が克明に描かれ、救いのないラストはまさに絶望を象徴している。大ヒットドラマ、ウォーキング・デッドの原作者はゾンビは人の形をした死のメタファーとなっている。誰しも死を内心恐れる。腐乱した死の存在がゆっくりと近づいてくるものはまさに人間の恐怖を象徴する。また群集によって個人が喪失するという恐怖も恐れる。

しかし同時にこうも語る。ゾンビを倒すには銃は必要ない。首を傷つけることで倒すことができる。ゾンビ映画は死を克服する映画であるのだと。

意外にも深い話である。

君と会って 孤独が嫌いに なりました 怖くもあるし どうしたらいい