utsurobune’s diary

短歌を発表してます。

一人百首:34

プロレスの本場・メキシコではマスクを被っていない選手のほうが少ない。日本・メキシコ・アメリカが人気のある国だが、スペイン語ルチャ・リブレ、自由な戦いと呼ばれるその国の意味合いは重いものがあるだろう。他のスポーツやエンターテイメントでもあれだけ違和感のあるものをつけながら行うというのは他に例がない。某大型遊園地で頭につける耳と同じである。マスクをつけることによってその場所を非日常の空間にしているのだ。

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人は見た目が9割というが、ルックというのはとても大事である。逆に言えばものすごい雰囲気のある人でも実は1割の力しかない、ということもあるし、1割の差があるかないかで、優劣が決まるということもあるんじゃないだろうか。

物語、特に映画の世界では小道具というものが重要な役割を示すことが多い。それはセリフにしてしまうと陳腐になりがちなものを小道具という形で語らせることができるからである。

例えば眼鏡を例にしてみる。眼鏡と一度聞いて思い出すのが「キングスマン」だ。かつてのスパイ映画を再現したといわれるやりたい放題なこの映画は日本でも大ブレイクした。その他にも007ではボンドの相棒、新しいQが眼鏡をかけている。ミッションインポッシブルはないだろう・・と思いきやイーサン・ハントの仲間のベンジー・ダンがハントとの会話をするためにかけている。スパイとはそもそもが変装する、忍び込むもので、それも日常の中に侵入するものだ。観客に分かる範囲でこの人物は一般の人に紛れ込んでいるが、実は裏の顔がある。ということを分からせるために選択したのではないだろうか。

同じく顔にかけるサングラスを例に出そう。映画ではサングラスは反抗の象徴であると言われる。映画「卒業」でミセス・ロビンソンとの不倫の道に足を踏み入れ、主人公はこれまでの古風で健全な生き方を選択することができなくなる。マトリックスではこの世界が機会によって操られていると知ったトーマス・アンダーソンはサングラスをかけ、救世主・ネオとなる。ゼイリブでは分かりやすく、サングラスをかけることでこの世界が洗脳されているということが見えるというアイテムになっている。

みうらじゅんさんがサングラスをかけている理由は青春時代に暗いスクリーンで映画を見続けた人たちにとっては日常が映画のようなものだといわれれている。

ひとつのものでもそのものが象徴しているものが加わると比重が重くなる。

イタリアの 旗の色した かさをさし 帰る人には 孫はいるのか